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遠藤昭吾(えんどう・しょうご)─漁師(南三陸町)─世界初のギンザケ養殖 - 株式会社河北新報社

遠藤昭吾(えんどう・しょうご)─漁師(南三陸町)─世界初のギンザケ養殖

志津川湾で海面養殖したギンザケを手に持つ昭吾さん=1976年 ギンザケの水揚げでにぎわう旧志津川町の志津川魚市場=1978年 志津川湾で水揚げされる養殖ギンザケ。近年は1キロ当たり600円程度の取引価格が続く=4月

 宮城県が生産量全国一を誇るギンザケの養殖は、旧志津川町(現南三陸町)が発祥の地とされる。試験段階から関わり、世界初のギンザケの海面養殖技術確立に貢献した立役者が、町出身の漁師遠藤昭吾さん(1934〜2004年)だ。
 昭吾さんは中学卒業後、家業のカキ養殖を手伝った。20歳で念願だったマグロ船に乗り込み、インド洋など大海原を巡った。
 結婚を機に船を下り、しばらくはカキやワカメの養殖に取り組む。かつて船員として働いた日魯漁業(現マルハニチロ)からギンザケの海面養殖試験への協力を頼まれたのは、1974年だった。
 同社は、北洋サケ・マス漁が操業区域などの規制で先細るのを見込み、ギンザケ養殖の事業化を目指していた。寒流系の魚なので、海水温20度以下の志津川湾が適地と見込み、昭吾さんに白羽の矢を立てた。
 「父はチャレンジ精神が旺盛。漁師仲間に反対されたが、絶対に成功させてみせるという気持ちだったと思う」。長男のカキ養殖業則昭さん(58)が、挑戦を決めた昭吾さんの心中を察する。
 試験養殖は翌75年秋、志津川湾で始まった。昭吾さんが初めていけすに放流した稚魚約2000匹は、友人に工面してもらった1万円を元手に仕入れたという。
 餌やりなど全てが手探りだったが、翌年春に成魚の水揚げに成功した。「魚は重さ2キロを超え、これはいけると手応えを感じた」。日魯の元社員遠藤紀忠さん(79)=神奈川県小田原市=が初水揚げの様子を振り返る。
 養殖は2年間の試験を経て本格化し、当初は1キロ当たりの平均単価が1000円を超えた。多くの若者が北洋漁船を下りて養殖に従事し、最盛期の80年代は、志津川町内で100人を超す漁師が生産を手掛けた。
 南三陸町の元漁師佐藤孝行さん(79)もその一人。「餌屋、網屋、資材屋、運送屋など関連する業種も潤い、地域に経済効果をもたらした」と回顧する。
 だが、平成に入ると状況は一変した。日本の技術協力を受けて南米チリで養殖されたギンザケの輸入が増え、餌の原料も高騰。志津川では93年ごろから廃業する生産者が相次いだ。
 昭吾さんも最後は資金繰りに行き詰まり、20年ほどで養殖事業から撤退した。しかし、地元の漁業関係者は功績を忘れず、こう口をそろえる。「昭吾さんのおかげでギンザケ養殖の今がある」
(南三陸支局・佐々木智也)

[メモ]ギンザケは成長が早く、耐病性があることから養殖に適した魚種といわれている。県内の養殖ギンザケ生産量は1万4200トン(2019年速報値)で全国の約9割を占める。生け締めを施した高鮮度の県産ギンザケは「みやぎサーモン」として出荷されている。

2020年09月07日月曜日


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September 07, 2020 at 09:25AM
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