夏のウニ漁が終了し、次の秋サケ漁が始まるまでのほんのわずかの期間、今がチャンスと取材陣がうかがったのは、余市町の漁師、川内谷幸恵(かわうちやさちえ)さんのお宅です。 現地に到着してまず目に入ったのは、ご自宅の目の前に広がる、プライベートビーチとも言えるような砂浜と、えびす・大黒岩と呼ばれる奇岩の織りなす絶景です!こんな素敵な景色が毎日見られるなんてうらやましい限りですが、これも漁師さんの特権なのでしょう。
しばらく見とれていると、「こんにちは~」と、本日の主役、川内谷さんが現れました。
近くで見るとびっくりするくらい色白で、言われなければとても漁師さんには見えない幸恵さん、この仕事をすることになった経緯や、今取り組んでいることなど、早速うかがってみることにしました。
左がえびす岩、右が大黒岩
自分が漁師になるなんて思ってもいなかった
「生まれも育ちもここ余市町です」という幸恵さん、小さい頃から漁師さんであるお父様の背中を見てはいましたが、まさか自分が海に出るとは思ってもいなかったそうです。それが一変したのは今から5年前、37歳の時でした。突然、お父様が病に倒れたのです。
幸いにも一命をとりとめましたが、安堵すると同時に幸恵さんの心には別の不安がわいていました。
「父は根っからの漁師だから、少し回復したら絶対また海行くって言うはず。そうなったら一人じゃ無理だし、誰か一緒にいかなくてはと思いました」
とめても無駄だとなると、残る選択肢は一つしかありませんでした。誰かが一緒に漁に出る、でも、誰が?? 幸恵さんの葛藤はここから始まりました。
3人姉妹の長女であることや、自分が一番近くにいるという責任感、シングルマザーとして3人の子育て中であり一番下の子はまだ小さいこと、そもそも全く違う事務の仕事からのチャレンジであること、しかも安定した会社員の仕事に比べて、良いときもあれば悪いときもあるという一攫千金的な世界であること、などなど。
様々なことを考えるほどに悩み、迷い、堂々巡りが続きます。 当時高校生だった長男は、「俺はいいと思うよ!」と基本的に賛成姿勢、しかし、同じく高校生だった長女は、猛烈に反対したそうです。
お母さんの幸恵さんが心配ということに加えて、当時まだ幼稚園に入ったばかりの弟が家で一人になってしまうということを心配したのです。遠くの高校に通っていたため家を離れていたので、なおさら心配だったのでしょう。
お父様の藤一さんと末っ子の遥泰(はるや)君と3人で。後ろは花好きの藤一さんの植えたマリーゴールド
しかし、約2ヶ月一人で悩んだ結果、幸恵さんは漁師になることを決断します。家族のためにもそれが最善の道だと思ったからです。
そして、自分で決めた以上はそこからの行動に迷いはありませんでした。まずは勤めていた職場に辞表を提出。これでもう後戻りはできなくなりました。見守っていたお母様は、もう少しお父さんの様子を見てからでもいいんじゃないの?と心配したそうですが、その時には何と、幸恵さんはすでに船舶免許取得のための手続きも行っていたのでした。
「もう決めたことだし、すでに職場には辞めると伝えたし、もう先へ先へと動いてましたね」
いざ海に出てみると
こうして、漁師としての一歩を踏み出した幸恵さん、経験はほとんどありませんでしたが、大きな武器がありました。
「私、全然船酔いしないんですよ」
取材陣もこれまで何人も漁師さんの取材をしましたが、意外と最初は船になれるのが大変だったと話す漁師さんが多い中で、全く船酔いしないとは!これはきっと大きなアドバンテージです。さらに、
「ギャップですか? それも特に無かったんですよね~」
と、語るとおり、やはり小さな時からお父様の仕事を見ていただけあって、実際に自分がやってみてもそんなにギャップは無かったそうなのです。生活のリズムなど含めて、慣れるまでにかなり大変だと言われる漁師さんの仕事に抵抗なく入っていけたのは、さすがに漁師さんの娘です。
でも、でも、何か大変なことはありますよね??と、食い下がると
「そうですね~、やはり冬の寒さはつらいですね、覚悟はしていましたが、めちゃくちゃ寒い!!(笑)」
「それと、どうしても男の人には体力でかなわない部分があるので、最初は苦労しました。みんなが持っているものを自分は持てないとか。でも今は経験を重ねて、コツを覚えると、少し楽にできるようになってきました。例えば、重い箱を手渡すときも、同じ方向からだとやりずらいけど、角度を変えるとやりやすくなることに気づいたり。 あとは、網から魚を外すのも魚種によって外し方が違うし、手早く、傷つけないようにやらなければならないので、最初は大変でした。でもこれも、繰り返していくうちに今はもう慣れましたね!」
なるほど、体力のハンディは、経験を重ねることや持ち前の器用さで克服していったのですね。 では、逆にこの仕事の醍醐味や楽しさはどんなところなのかを聞いて見ると、即答で
「私、ウニ漁が好きなんですよ!」との答えがかえってきました。
「体勢とかはすごくつらいんですけど、やっぱり大きいバフンウニを獲ったときとかは、やった~~!って興奮します。限られた時間の中で、正直、数では他の漁師さんにかないません。だから、とにかく海の中を見る!くまなく見落としないように見る!ということを心掛けています。いかに大きいもの、いかに良いものを獲るか、しっかり見極めてから獲るようにしています」
ウニやアワビ漁に使うのは一人乗りのこの船。幸恵さんの名前から、その名もさち丸
最初は見落としがちだったのが、今ではもう、だいたいこの辺にいるだろうなと感が働くようになり、随分見つけやすくなったとも話してくれました。
目につくものを片っ端から獲るのでは無く、あえて見つけづらいバフンウニの、しかも大きいものだけを見極めて獲るというところに、幸恵さんのプライドを感じます。そして、アワビ漁の魅力についても教えてくれました。
「ウニよりも面白いのがアワビ漁ですね!ウニは見つけさえすればタモですくえるんですけど、アワビは鉤で岩から剥がしとるので、タイミングを見極めたり、ウニよりも技術が要ります。それと最近はアワビが減ってきて、大きさも小さいサイズばかりになってきているので、大きいのを見つけると、より嬉しさが大きいし興奮します!」
お父様のことを根っからの漁師とおっしゃっていましたが、どうやら幸恵さんも同じようです (笑)
小さい方がバフンウニ用、大きい方がとげのあるムラサキウニ用のタモ
この箱めがねをくわえて海中をのぞき、舵をとりながらウニやアワビをとる、体力も技術もいる漁です
3代続く漁師の歴史
ここで改めて、今幸恵さんが行っている漁を詳しく教えてもらいましょう。
「まず、5/20にウニ漁が解禁となります。それが8月末まで続き、9月上旬~10月初めまでがサケ漁、その次は10~12月がアワビ漁、11月から4月半ばまでがカレイの刺し網漁で、そこが最も忙しくなる時期ですね。1年間のおおまかな流れはこんな感じです」
なるほど。1年を通して様々な漁を行っているのですね。家のとなりにある作業小屋も見せて頂けるとのことで、案内してもらうことにしました。
そこには、3代続く漁師一家の歴史がぎっしりと詰まっていました。まず1階の加工場に隣接する広い作業スペースには、実に様々な種類の網が大量に積まれています。さらに2階にもお邪魔してみると、何とそこにも大量の網がびっしりと積まれているではないですか!驚く取材陣に、幸恵さんにかわって今度はお父様の藤一さんが説明して下さいます。
「この網目の大きいのはアンコウ用だね、この白いのはニシンをとってた網、これはどんな魚も逃げられない3枚重ねの網で地獄網って呼ばれてるね」
素人の目には、全部同じに見えるのですが、それは魚種や用途によって使い分けられてきた、あらゆる種類の網なのでした。
幸恵さんのお父様、藤一さん
「昔は、魚がいれば余市から遠いところでも、追っかけてどこでも行ってたな〜」と笑う藤一さん。 せっかくなので、その歴史も聞いてみます。
若い頃は、遠洋漁業の船に乗って世界の海をめぐっていたのだそうで、25歳頃にその船を降りて実家に戻ってからは、自分のお父さん(幸恵さんのおじいさん)と一緒に小さな船で漁を始めます。やがてそのお父さんが引退すると、今度は奥さん(幸恵さんのお母さん)と一緒に船に乗り、約20年もの間、二人三脚で漁をしていたそう。まさに根っからの漁師さんです。5年前に病気で倒れてからも、動けるまでに回復するとすぐに海に戻ったほどです。でもそれまでと違うのは、今度はそばに幸恵さんがいる、ということでした。
幸恵さんが漁師になると言ったときも、特に何も言わなかったという藤一さん、 漁師として今、ともに海に出る幸恵さんのことをどう思っているのか?こっそり聞いてみると、、、
「一緒に(漁に)行けば、カレイなんか上手に外して(網から)、あっというまに作業終わってるもんね。夏は夏で、ウニだけでもけっこう獲るしな~。これからは、許可もとったからカニカゴ漁も一緒にやろうと思ってるんだ」 と、言葉は多くなくても、嬉しそうに目を細めたのでした。
「操船は父がやっていて、まだ自分は舵を握らせてもらってないんです」と幸恵さんは話していましたが、これから、父から子へと海の上で色々なことが受け継がれていくのでしょう。
漁以外の取り組み
さて、漁師さんとして海に出る以外にも、実は幸恵さんにはやることが山のようにあるのです。
と言うのも、女性漁師という珍しさからか、あちこちから取材やお仕事の依頼が舞い込むのです。さらには依頼されたものだけではなく、自ら企画したり参加している取組もあるというのです。自分たちも取材しておいて何ですが、ただでさえ忙しいのに、その時間を作り出すのはすごく大変じゃないですか??と思わず聞くと、
「今はどんな業種でも発信上手にならないと!めんどくさがらないことが大事だと思っています」
という、ものすごく前向きな答えが返ってきました。 では、その取り組みについても詳しく聞いてみましょう。
「一つは修学旅行生の受入です。近くの蘭越町に体験学習などを請け負う会社があるんですが、そこの知り合いのガイドさんから相談されたのがきっかけでした。後志管内でいうと、寿都町は町自体で受入をしているし、ここ余市町でも、農家さんは何件も受入をしているところがあるけど、漁師さんで受入をしているところは1件も無いって言われたんです。じゃあ、自分がやろうかな、と(笑)。打診された段階では、まだ自分も漁師になったばかりで、どんな体験を提供してあげられるのか、どの時期がいいのか、などわからない部分があったんですが、漁師の仕事もだんだん慣れてきて、受入もできそうだなと思えた昨年から受け入れを開始しました」
最初は大阪から来た高校生の女の子たち5人のグループだったそうです。
「ちょうど休漁期間だったので、みんなで海浜清掃をしたり、夜はバーベキューをしたりしたんですけど、この前浜の景色や、新鮮な北海道の食材をすごく喜んでもらえました!」
「次のグループも大阪からで、今度は男の子5人でした。このときはアワビ漁の期間だったので、獲れたアワビの選別を体験してもらったり、旬のいくら丼を食べてもらったりしたんですけど、思ったよりも反応が薄くて(笑)。温泉に連れていっても、道でシカに遭遇しても、特にリアクションも無く、、、楽しくないのかな?とだんだん不安になってきました。でも、日が暮れて、夜空に星が現れると、何と、3日間で一番のリアクションを見せてくれたんです!こんなに綺麗な星空は普段見れないって。 いくら丼よりも、シカよりも、星空だったか!と(笑)。でも喜んでもらえて何よりでした」
それぞれ何かひとつでも余市の思い出をつくってもらって、大人になったときにそれを思い出してくれたら、そしていつかまた訪ねてくれたらとても嬉しい、と語る幸恵さん。コロナが落ち着いて、また受入を再開できるのを楽しみにしているそうです。
そして、余市町のPRと言えば、地元の観光協会を通して、ウニ剥き体験の受入も行ってるのだそう。
「ここ余市で漁師としてやっていくために、観光業界の方にも自分を覚えて欲しいですし、一般の方にはもっと漁師の仕事を知って欲しいので、こうゆう活動も大事にしたいですね」
さらには、水産庁のプロジェクトである、「水産女子の元気プロジェクト」にもメンバーとして登録し、水産業界を女性の力で盛り上げるべく、道内道外のメンバーで交流を図っているそう。
全てはふるさと余市と漁業の未来のため
その行動力や、情熱には驚くばかりですが、幸恵さんの活動はこればかりにとどまりません。 実はもう一つ力を入れているのが、"漁師×シェフ×消費者"という、3つの立場の人々の交流イベントです。
具体的には、幸恵さんのとった選りすぐりの魚をプロの手で様々な料理に変え、生産者である幸恵さんと語りながら、イベントの参加者に直接食べてもらうといった内容です。
シェフと幸恵さんのコラボで鮭の可能性を最大限に!
参加者のみなさんもこの笑顔
鮭やヒラメなど、その都度テーマを決めて、昨年は札幌で2回開催したそうです。
この企画を快く引き受けてくれた、フレンチレストランのシェフは、素材である鮭を余すところなく使って、デザートまで鮭を用いたものを考案してくれたそう。参加者にも大好評で、幸恵さんは生産者としての手応えを感じることができたのでした。
「一番の目的は、その素材の生産者である自分と、直接話しながら食べてもらえる場を設けることでした。漁師を身近に感じてもらえたり、魚を美味しいと思ってもらえたら嬉しいですね。もちろん、自分もその食材の可能性を知ることができたし、消費者の方の反応を直接知ることのできる機会となりました。ありがたいことに、またやって欲しいという声もたくさん頂き、これからもこういった機会を増やしていきたいと思っています」
それしても、淡々と語ってくれますが、一体いつ休むのだろう、と心配になるほどの多忙さです。
ちなみに書き加えると、実は漁で獲れるのは、前出の鮭やヒラメのような市場価値の高いものだけとは限らず、中には、ほとんど値段のつかない、未利用魚と呼ばれる魚もあるそうなのです。幸恵さんは、こうした魚も無駄にしたくないと、詰め合わせにしたり、加工したりして、WEBでの販売も行っているのです。
赤い魚が幸恵さんおすすめのカナガシラ。
「私のお薦めは、ホウボウの仲間のカナガシラという魚です!出汁が出てとっても美味しいんですよ」
漁に、子育てに、加工作業に、取材に、PR活動に、とまさに大車輪の活躍ですが、なぜそこまでがんばれるのか、その原動力を改めて聞いてみました。
「それはやっぱり、ここ余市町やここでとれる海の恵みの魅力を、たくさんの人に知ってもらいたいからです。伝えるために自分にできることがあるなら協力したいですよね。以前に、『余市で鮭がとれるの?』って聞かれたことがあって。その方は余市にフルーツのイメージしかなかったみたいなんですよね。余市は海ですから!鮭いっぱいとれますからっ!て言いたかったです(笑)」
「それと、SNSも含めてこうした色々な活動をしてくうちに、他の地域の漁師さんとのつながりが増えてきました。距離もあって中々頻繁に会うことはできませんが、たまに会うと、魚の話ばっかりしてますね(笑)。獲る魚はちがっても、お互いに、その魚どうやってしめてるの?とか、その道具使いやすそうだね!とか。使う道具ひとつでも地域によって違ったりしてて、面白いんですよね。少し前までは、どうしてもこの業界は閉鎖的な部分があって、他の地域の漁師さんと交流することはほとんどありませんでした。でもこれからは自分が積極的に交流して、横のつながりを広げていきたいです」
お兄ちゃん、お姉ちゃんに続き、自分も野球部に入る!と宣言する末っ子の遥泰君
家に戻れば、優しいお母さんの顔に戻ります
きっかけは、自分がやるしかない!というやむにやまれぬものでしたが、今、漁師の仕事に全力で取り組む幸恵さんからは、そこで見つけた新たな目標に向かう充実感が溢れていました。
- 川内谷漁業部 川内谷幸恵
- 住所
北海道余市郡余市町
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September 28, 2020 at 08:15AM
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