太平洋戦争の終戦前日に兵庫県香美町沖で日本海軍の海防艦2隻が米国の潜水艦に撃沈された香住沖海戦で、最後の生存者とみられる菅野(すげの)昭さん(東京都)が今年3月、89歳で亡くなった。地元の漁師に救われた経験から、住民への感謝を忘れなかった。「日本最後の海戦」の記憶を、香住青年会議所(香住JC)のメンバーらが語り継いでいる。(金海隆至)
福島県出身の菅野さんは最年少14歳の志願兵として、1944年9月、佐世保港(長崎県)で第13号海防艦に乗艦。海軍本部などから届く新聞電報を文章に直して掲示する通信任務に就いた。
45年8月14日、第13号海防艦は香住沖で米軍の潜水艦トースクの魚雷攻撃で沈没。海に投げ出された乗組員は、遺体などと交じって漂った。何とか救命艇にはい上がった菅野さん。寒さに震えていた時、漁船が次々と現れた。
「年寄りばかりですみません」。息子たちを戦地に送り出し、残っていた年配の漁師たちだった。休ませてもらった民家では風呂や食事を世話してくれた。翌15日、列車で舞鶴港へ向かい、終戦を迎えた。
大学を卒業し、94年まで東京都内の小学校教諭を務めた。教壇でも戦地での体験をつぶさに語ったが、自身の戦争観や思いについては明かさなかった。教え子で戦地慰霊や戦跡調査を続ける島田潤さん(69)=東京都=は「志願兵だったことを非難された時代があった。率先して戦地に赴いたことに引け目を感じていたのかもしれない」と推し量る。
島田さんは昨年10月、トースクを戦勝記念艦として港に係留している米国ボルティモアの博物館の館長に、菅野さんが書いた日米友好を願うメッセージを届けた。11月に菅野さんに報告した際、館長から贈られたトースクの帽子を渡したところ、一度だけかぶって「香住の人に届けてもらいたい」と話したという。それが菅野さんに会った最後となった。
香美町では戦後、海戦は忘れられていた。戦没者の供養を個人的に続けていた地元漁師に香住JCの役員が出会ったことがきっかけで、同JCが77年に慰霊碑を建立。慰霊祭を営むようになった。7年前、同町を68年ぶりに訪れた菅野さんは「香住は私にとって人生の原点」と語った。
同JCは、菅野さんら生存者や遺族から聞き取った話を小学生に伝えている。今月中旬にも副理事長の島崎貢さん(36)が香住小学校で講演。海防艦が今も近くの海に眠ることを紹介し、「生きたくても生きられなかった人を思い、平和という言葉の意味を考えながら成長してほしい」と語り掛けた。
【香住沖海戦】1945年8月14日昼ごろ、元山(ウォンサン)港(現北朝鮮)へ向かう予定だった日本海軍の第47号海防艦(乗組員201人)と第13号海防艦(同210人)が、兵庫県香住町(現香美町)沖約6キロで米国の新型潜水艦トースクの魚雷攻撃を受け、沈没した。56人が犠牲になったが、漁船で救助に向かった漁師らにより355人が生還した。太平洋戦争最後の海戦で、第13号は国内最後の戦没艦とされる。
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July 31, 2020 at 10:37AM
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